東京そぞろ歩き

長府 功山寺

 去年の2月に山口県へ旅に出たのですが、そのときの写真をいくつかUPしていきます。

 宇部空港に到着後、レンタカーを借りてまずは長府へ。ここは、長州藩の支藩だった長府藩のあった旧城下町。武家屋敷の残る街中を散策する前に、まずは功山寺へ。

 
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 ここで少々、高杉晋作の功山寺挙兵について・・・

 
 元治元年の12月、禁門の変で朝敵になり、第一次長州征伐を受けて藩の実権は完全に保守派が握っていた。同志の桂小五郎は行方不明、松陰門下の四天王といわれた久坂玄瑞と入江九一は禁門の変で自決、吉田稔麿は池田屋事件で討ち死に、藩内の勤皇派にとっては絶望的な状況。

 そんな中で立ち上がったのが高杉晋作。潜伏先の福岡から舞い戻り、同志を集めて挙兵しようとするも頼みの奇兵隊は同調せず、共に立ち上がったのは伊藤俊輔率いる力士隊と、他藩の脱藩浪士で成り立っている遊撃隊のわずか80人ほどだった・・・

 正直、この人数で勝算があったとは思えないです(笑) 高杉ももうこうなったら一発でかい花火打ち上げて自分の死に場所にしようと思ってたんじゃないかなあ。で、長州勤皇派がかくまっていた「五卿」と呼ばれる公卿たちがこの功山寺に仮住まいしてたわけです。

 12月15日の深夜、雪の積もる功山寺の境内を五卿に会うために訪問し、そこでひと言、
 「今から長州男児の肝っ玉をお目にかけます」そう言い残して、下関へと進軍した・・・

 高杉晋作がなぜ久坂や桂よりも有名で人気があるかというと、このたった80数人で決行したクーデターを最終的に成功させてしまったから。このあと、下関の海軍局を襲撃して軍艦を3隻奪い獲り、様子見状態だった奇兵隊を仲間に引き込み、慌てて萩から進軍してきた長州藩の正規兵たちの大軍を大田・絵堂の戦いで破って、再び藩内世論は勤皇で統一されることとなりました。

 歴史的に見て、功山寺挙兵は小さな出来事かもしれないですが、これがなかったら明治維新は全く違う形になってたでしょうねえ。

 のちに日本の初代総理大臣になった伊藤俊輔(博文)が高杉を称して曰く、「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」 この藩内クーデターを成功させた時期はまさにそんな表現がぴったりだと思います。

 ちなみに、高杉は生前の写真が残ってて、それを見ると結構な馬面です。このころ、こんな狂歌が流行ったそうです。


 
 こりゃどうじゃ世は逆さまとなりにけり
 乗った人より馬が丸顔



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 いくらなんでも、それはないよなあ^^;
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by tigers00 | 2013-01-13 20:39 | | Comments(0)
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