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東京そぞろ歩き

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柳橋

 260年にも及ぶ江戸時代の中で、一番平和で享楽的だったのは文化・文政時代(1804年~1829年)だったのではないか。江戸の町では町人文化が花開き、いろんな娯楽が生まれている。

 さて、そんな時代だからこそ、くだらない?催しもおこなわれた。文化14年3月23日、今でいう台東区柳橋の料亭万八楼でおこなわれた大酒大食い大会なんかもそのひとつ。TVチャンピオンみたいな企画だけど、この頃にはそんなムダなことをするくらい食糧事情がよかったんだろうね。

 参加人数は約200人。酒組・飯組・菓子組・そば組に分かれて競い合った。優勝者の記録を見ると、これが結構すごいもんで…。

 飯組優勝は三島町の三左衛門さん(47)。53杯と醤油2合を記録。菓子組は神田の丸屋勘右衛門さん(56)。まんじゅう50個、ようかん7本、薄皮餅30個…う~ん、書いてて胸焼けしてきた。そば組は池之端の山口屋太兵衛さん(38)。63杯を食ったそうだ。

 で、なんといってもすごいのは酒組。優勝者は芝口の鯉屋利兵衛さん(30)。飲んだ量は三升入りの盃6杯。え~っと、一升がだいたい1.8Lだから…なんと32.4L!!死んだだろ、この人。その場で。

 オレは酒はほとんど飲めないほうなんでよく分からんが、そんなに飲めるもんなの?当時はもちろんビールなんてないから日本酒とか焼酎とかだろうし。その頃の日本酒って、今より薄かったんかなあ。
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 写真は、この大会を主催した万八楼を買い取って改名したといわれている亀清楼。江戸から明治にかけてわんさかあった柳橋料亭の最後の生残りだ。

 柳橋周辺はすっかりビル街になっている。その柳橋から神田川を見下ろすと、屋形船が係留されている。周囲はすっかり変わってしまったけれど、屋形船の伝統は江戸時代からずっと受け継がれているようだ。
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 橋のたもとのプレートに、正岡子規の句が埋め込まれていた。

 春の夜や 女見返る 柳橋

by tigers00 | 2006-02-26 13:22 | 歴史散歩

葛飾区郷土と天文の博物館

 前回にも書いたんだけど、なにげに博物館好き。それも歴史関係の博物館なら言うことなしだ。で、この歴史関係の博物館とか資料館の類って結構あちこちにあるもんで、気の利いた自治体なら、たいてい市営やら町営やらで建設して運営している。

 23区内にも探せばいくつかあるもんで、ここ葛飾区の博物館もそのひとつ。うちからバイクで30分くらいの場所にあるんだけど、こんな施設が存在するなんて歴史博物館好きのオレでさえ、最近まで全然知らなかった。こういう施設って、存在自体が地味だもんねえ。

 で、展示物の中で面白かったのがこれ、寅さん埴輪。
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 葛飾といえばなんといっても寅さん。で、柴又八幡神社古墳から出土した埴輪が、寅さんと同じような帽子をかぶっていた!ってことで寅さん埴輪というそうだ。ん~、言われてみればそんな気もするが…。しかもこの埴輪、出土したのが平成13年8月4日。この日は渥美清さんの命日だった。出来すぎのような気もするがほんとの話です。

 あと、ここは郷土と天文の博物館というだけあって、プラネタリウムが併設されている。ここのいいところは、テープ音声ではなく、解説員の方が生で解説してくれるところ。ここのプラネタリウムは結構穴場です。

by tigers00 | 2006-02-26 00:03 | 雑記

 四谷にある消防博物館ってところに行ってきた。こういう博物館系ってなにげに好きなんですよ、はい。

 ここのいいところは、なんといっても入場料が無料なとこ。消防庁が消防活動のPRのために運営してるだけに、タダで入場できる。そういえば、京橋にある警察博物館も無料だったっけ。

 消防の歴史や、昔の消防車なんかを展示してあるんだけど、その中で目についたのが纏だ。

 江戸時代、「火事と喧嘩は江戸の華」って言われたぐらい火事の多かった江戸の町で、消防団として活躍したのが町火消。いろは48組が活動してた。

 いざ火事が起きて町火消が出動したとき、その組のシンボルである纏を高々と現場付近の家の屋根に掲げ、自分たちの組の持ち場をアピールした。ちなみに、纏持ちは各組の中で、一番の美男子が選ばれたらしい。

 粋でいなせなこの纏持ち、江戸の町のヒーローみたいな存在だったんだけど、実際のところ命懸け。そりゃ、火事でボーボー燃えてるところで纏を振り回し、組頭に「退け!」って言われない限りその場から動くこともできない。まあ、それだけにカッコよかったんだけどね。

 そんな、纏がずらりと並んで展示されていた。
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 各組、それぞれデザインが違うんだけど、有名なのが一番手前の「い組」の纏。上が○で下が□。上の○はケシの実を表してて、下の□は枡をイメージしている。つまり、「消します」。シャレ好きの江戸っ子ぽくていいなあ、そのセンス。
 

by tigers00 | 2006-02-18 17:24 | 街角写真館

笠森お仙

 今からざっと240年ほど前、江戸の谷中にひとりの町娘が住んでいた。名前はお仙。笠森稲荷神社の境内にある「鍵屋」という水茶屋の看板娘だった。

 そんな何の変哲もない町娘が歴史に名を残す人物になるのは、ひとりの浮世絵師との出会いからだった。

 浮世絵師の名前は鈴木春信。当代きっての人気浮世絵師だ。その春信がお仙のことを気に入って、自分が描く美人画のモデルにしたのがそもそもの始まり。この美人画が売り出されるや飛ぶように売れ、お仙はあっという間に江戸中のスーパーアイドルになったのだった。

 そりゃ、美人画に描かれてる美人が谷中の水茶屋でウエイトレスをしてるっていうんだから、実物を見たくなるのはまぁ当然でしょ。テレビも写真もない時代なだけに、逆に想像力が働いて、「どうしても実物が見たい!」ってなったんじゃないかなあ。鍵屋には連日、お仙見たさの客が詰め掛けて大変な賑わいだったとか。

 で、お仙の人気の凄さはそれだけにとどまらない。なんと、手ぬぐいやらすごろくやらのキャラクターグッズが売り出され、お仙を題材にした狂言まであったほど。しかし、お仙すごろくってどんなんだ…?

 吉原や島原の花魁のようなクロウト女じゃなく、普通の町娘がこれだけのスーパーアイドルになったのはかなりすごい。細い柳腰におちょぼ口とうりざね顔って、今の時代だと美人って言えるんかなあ?と疑問だけど。

 しかし、そんな人気絶頂の時期に、お仙は忽然と姿を消してしまう。お仙見たさの客が鍵屋に行っても、いるのはオヤジだけ。オヤジもそのことに関して何も答えなかったんだろう。そんなわけでお仙がどこに消えたのか、いろんな説が飛び交った。やれ、駆け落ちしただの、オヤジがお仙を殺しただの…。お仙の駆け落ちを題材にした錦絵まで売られる始末。

 実際はこっそりと結婚していたのだった。結婚したって言ったらそれはそれで大騒ぎになったんだろうなあ。相手は幕府お庭番の倉地正之助という人物。お庭番といえば忍者ですね。お仙としては相手が直参旗本なんだから素敵な玉の輿、倉地にしてみれば江戸中のスーパーアイドルとの結婚だし、そりゃどちらも幸せだったんでしょうなあ。

 その、お仙が働いていた水茶屋の鍵屋があった笠森稲荷神社は今はなく、跡地には巧徳林寺というお寺が建っている。
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 さすがに、その頃の喧騒を感じさせるものはなにひとつ残ってなかった。

 

by tigers00 | 2006-02-12 00:34 | 歴史散歩

天王寺五重塔跡

 谷中にある天王寺にはその昔、立派な五重塔が立っていた。1644年に建てられ、一度は消失したものの、1791年に再建されて1957年(昭和32年)までここに建っていた。関東大震災も太平洋戦争も乗り越えてきたのに、この年の7月6日、火災により消失。焼け跡からは男女二人の焼死体が見つかった。なんと、火災の原因は放火心中だったらしい。
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 今はちょっとした公園になっていて、残ってるのは土台だけ。再建の声も上がってはいるが、費用は総額10億円!しかしまあ、なんで五重塔に放火して心中したんだろ?なんでも、不倫清算のための心中だったらしいけど…。この二人、地元の人間じゃないんだろうなあ。谷中の自慢だった五重塔を不倫心中のために燃やしちゃうなんて。ちなみに、町の人はこの事実を知ってたいそう怒ったそうです。

by tigers00 | 2006-02-05 01:19 | 歴史散歩